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広島高等裁判所 昭和45年(う)74号 判決

本籍

韓国慶尚南道昌原郡鎮北面網谷里五四八

住居

山口県宇部市大字小串一、一一五番地の一

会社役員

福島源作こと

都相龍

一九二二年一二月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四五年二月一四日山口地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官杉本欽也出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全額被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤堂真二、同広沢道彦共同作成の控訴趣意書記載(但し、第五回公判において、四枚目表七行目「その税額金‥‥‥」から八行目「合計二八三、八五〇円」までを削除し、その代りに「合計二三四、八三〇円」を加え、五枚目表五行目「(1)英作の原審での証言」とあるのを、「(1)英作の昭和四一年二月一日付検察官に対する供述調書」と、七枚目裏八行目から九行目にかけて「二七三、五五〇円」とあるのを、「二三四、八三〇円」と各訂正)のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一の一(事実誤認の主張その一)について

(一)  昭和三七年における原判示東みやこは被告人と李点大との共同経営であるとの主張に対する判断

論旨は要するに、昭和三七年中における原判示東みやこの事業は、被告人と大石太郎こと李点大の共同経営にかかり、両名が同店の売上から諸経費を差し引いた純益を折半取得していたものであるのに、これを被告人の単独事業と認めて同年中の同店の事業収益を全部被告人の事業所得と認定した原判決は、所得の帰属および逋脱額の算定について事実を誤認した違法がある、というのである。

所論にかんがみ記録および証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、

1  被告人は昭和三一年八月頃宇部市内において、ダンプ架装、トラツクのボデイ製造などを営む東亜自動車工業株式会社を設立し、同会社の代表取締役としてその事業経営に携わるほか、昭和二七年頃から同市東区錦町五丁目所在の「みやこ」パチンコ店(以下「東みやこ」と略称する)、昭和三〇年頃から同市西区北町一丁目所在の「みやこ」パチンコ店(以下「西みやこ」と略称する)、昭和三六年八月頃から大阪市都島区東野田町七丁目所在の「みやこ」パチンコ店(以下「大阪みやこ」と略称する)の各パチンコ店を合わせ経営していたが、右「東みやこ」については経営の補助者に恵まれず、自らは会社経営に多忙で同店の経営に十分手が届かないことなどから、同店の営業がさびれ勝ちとなり、昭和三六年当時同店を手放す考えをもつていたこと

2  そのような状況下において、被告人は、従前「西みやこ」、「東みやこ」等自己のパチンコ店で働いていたことがあり、当時小倉市内で他人と共同でパチンコ店を経営していた大石太郎こと李点大に、「東みやこ」の営業を譲渡しようと考え、同年一一月頃同人に同店の営業設備一切を買い取るように申入れたが、同人において、被告人が同店を手放すのは経営が成り立たないためではないかと危惧し、一旦は被告人の申出を断つたが、折衝の末、一年間程同店を利益折半による共同事業にし、その間に店の採算を見きわめて買取を決めたらよい旨の被告人の提言を容れ、利益折半の共同経営ということで同年一二月以降昭和三八年一月までの間同店の運営に当ることになつたこと

3  右期間における「東みやこ」の営業は、設備一切を被告人が提供し、そのうち被告人が賃借中の建物(被告人の弟都相奎の所有)を除いてすべて被告人の所有にかかり、李は同店の経営に参劃するにあたり金員その他現物の出資をしなかつたが、その代り同店の事業経営を委ねられてこれに専念し、同店の営業を継続中福岡相互銀行宇部支店に同人の日本名である大石太郎名義の当座預金口座を設け、毎日の売上の中からその日に現金で支払を要するものを差し引いた残金を被告人方に持参したうえ、被告人の妻福島澄子こと陳鳳仙に手渡し、これを同女が右大石太郎名義の当座預金口座に入金し、また、営業上の諸経費の支払に関して発行する手形、小切手については、同女が手形、小切手帳を、李が印鑑をそれぞれ保管したうえ、同人が支出を必要とする都度同女に話して、その保管にかかる手形、小切手帳を使用し、同人名義の手形、小切手を振り出していたが、同女は同店の営業方針につき口出しをすることはなかつたもので、右のような経理処理の方法は、営業利益の配分につき公正を期するためとみられ、このようにして、月間売上の中から月間の総経費を控除して残つた利益を被告人と李が折半して取得し、パチンコ機の入替、設備改善の特別経費も被告人と李が折半して負担することにしていたこと

4  李は昭和三八年一月頃になつて、被告人かな同店の営業設備一切を六五〇万円で買い取り、右営業譲渡によつて同年二月以後同人の単独事業に移つたこと

の各事実が認められ、右にみた李が「東みやこ」の事業経営に参劃するようになつた経緯、事業経営の実態、事業収益の折半取得等の事情に照らすと、昭和三七年における「東みやこ」のパチンコ営業は被告人と李の共同事業に属し、右事業経営に伴う経済的利益も両名に帰属(内部的には折半の割合)していたものと認めるのが相当である。

この点に関し原判決は、(1)「東みやこ」の営業設備一切を被告人が提供する反面李は金銭的な出資をしていないこと、(2)同店の営業許可名義が昭和三七年中被告人の妻陳鳳仙の名で届けられていたこと、(3)利益折半といつても損失が出ればすべて被告人が負担し、その場合李に対し生活費を保証する約であつたことを挙げて、営業主体はあくまで被告人であり、李は同店の支配人的立場にあつて、その報酬が純益の半分という所謂歩合制をとつていたものと認めるのが相当であるとしている。しかし、(1)については、李が「東みやこ」の経営につき金銭的な出資をしていないことはそのとおりであるが、それまで被告人が妻や従業員を介して片手間にみていた同店の事業について、李にその経営を委かせ、同人が主になつて事業経営に専念し、これにより業績を好転させたことが窺われるのであつて、物的設備を提供する被告人と該設備を活用して事業経営の衝にあたる李との間で、事業に対する貢献の度合にさしたる径庭はなく、(2)についても、被告人の原審公判廷における供述によると、所轄官庁に対する東みやこの営業の届出は、昭和二七年同店の開業当初から同人の妻鳳仙の名義で営業許可を受けていたものであるが、実際の経営者は被告人であり、同店に関する事業所得は被告人に帰属し、現に昭和三六年までこれを被告人の所得の中に含めて所得の申告をしていたことが認められ、右の営業許可の名義は単に形式上のものであつたに過ぎないから、李が同店の経営の衝に当るようになつた後同店の営業を引き続き鳳仙の名義で継続していたことは、必ずしも同店の事業経営の主体に李が加わつていたことを否定する根拠とならず、また、(3)については、なるほど、被告人の原審公判における供述および大蔵事務官に対する昭和三九年一二月一五日付質問填末書によれば、「東みやこ」の経営につき両者で利益折半の約束を取り決めた際、被告人において、万一赤字が出た場合李の生活費として三万円を保証する旨告げた事実が認められるが、他方、福岡相互銀行宇部支店長中村治一作成の昭和四〇年一月二八日付証明書添付の李名義の当座勘定元帳(写)、当審で取り調べた大蔵事務官羽原英一作成の「大石太郎名義当座預金の調査事績および課税資料」と題する書面、当審証人羽原英一の証言によると、昭和三七年中における「東みやこ」の利益配分に関し、同年一二月分を除き毎月利益を折半取得しているものの同年一二月分については諸経費が売上を上廻つて配分利益が全くなかつたことが認められるのに、被告人が李に対し同月分の生活費として前記のような保証をした形跡は全く認められず、全く李が損失を負担する関係になかつたとはいえないのであつて、被告人の前記のような生活費保証の申し出は、弁護人も指摘するように、李を東みやこの経営参加へ誘いこむための方便ないし同人に対する気安め的な言辞に過ぎないものと理解され、以上のように、被告人と李との間の各役割や、営業収益から通常経費のみならず特別経費も除いた純利益を折半取得していたこと等証拠上認められる経営の実態を直視するとき、原判決の指摘する(1)ないし(3)の点は共同経営の事実を否定する相当な理由とはなし難く、また、李点大および被告人(昭和四一年一月三〇日付)の検察官に対する各供述調書中被告人のみが「東みやこ」の事業経営者である旨の供述は、李および被告人の原審公判における各供述や前記認定事実に照らし措信することができない。

右によると、昭和三七年中における「東みやこ」の事業を被告人の単独事業と認めた原判決には誤りがあるが、問題は、右の点の誤りが被告人の同年分の課税所得や逋脱税額の算定に影響するかどうかにある。そして、この点については、後に詳述するように、原判決は、「東みやこ」の資産のうち昭和三七年中李に帰属すべきものを除外し、被告人に帰属すべき資産負債を対象にして「西みやこ」のそれと合わせ、期首と期末の正味資産の実際有高を比較して当期の純損益を算定する方法(財産増減法)により被告人の同年中の所得を捕捉しており、同年中の「東みやこ」の事業所得についていえば、同店の事業収益の中から李に分配したものを除いた残余の部分が被告人に帰属する資産(所得)とされているのであるから、原判決の右の点に関する誤りは被告人の同年中の課税所得や逋脱税額の算定に影響しない。もつとも、原判決は被告人の単独経営と認めたうえ、「更に昭和三八年三月一五日同署において、同署長宛に大石太郎こと李点大を介し同人名義をもつて、東みやこ店の昭和三七年分所得額を一〇〇万二、〇〇〇円、これに諸控除後の税額が六万七、三〇〇円となる旨記載した虚偽過少の所得税確定申告書を提出し」と判示し、右六万七、三〇〇円をも脱税額から控除しているところ、後にも述べるように、李点大名義の虚偽過少の所得申告を被告人が虚偽過少の所得申告をしたものと認めることはできないから、李点大の前記申告税額を被告人の脱税額から控除することはできないが、被告人は本来「西みやこ」のみならず、「東みやこ」「大阪みやこ」の三店(但し「大阪みやこ」の事業所得が被告人に帰属することは後述)を合わせた綜合所得を申告すべき立場にあり、原判決も、被告人は「東みやこ」および「大阪みやこ」分の事業所得をことさら除外した自己名義の虚偽過少の所得税確定申告書を提出した旨判示しており、右不正の行為により所得税をほ脱したという点では変りはなく、李点大の申告税額六万七、三〇〇円を逋脱額から控除した誤りは、もともと被告人に有利に扱われていた事柄に属するのみならず、後に述べるように、昭和三七年の被告人の所得計算上の些少な誤りと相俟つて、結局において、原判決認定の同年分の脱税額と当裁判所が正当と認める脱税額とで二万円余の差しかきたさないものであるから、原判決の右の誤りは判決に影響を及ぼさない。論旨は理由がない。

(二)  原判示大阪みやこは被告人の弟都相祚の経営にかかるとの主張に対する判断

論旨は要するに、昭和三七、三八年中における原判示「大阪みやこ」の事業は、被告人の実弟福島英作こと都相祚の経営にかかるものであり、被告人は同店の事業に関与していないのに、昭和三八年中における同店の事業所得を被告人の所得と認めた原判決は事実を誤認したものというのである。

そこで、所論にかんがみ記録および証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、昭和三七、三八年中における原判示「大阪みやこ」の事業経営者を被告人と認め、昭和三八年中の同店の事業所得が被告人に帰属するものと認定した原判決の判断は優に肯認することができ、原判決には所論のような事実の誤認はない。右関係証拠によると、被告人は昭和三六年二月頃大阪市都島区東野田町七丁目所在の久保商事株式会社が所有する建物(映画館)を八〇〇万円で買い取り、これをパチンコ店に改造(これを「大阪みやこ」という)したうえ同年八月頃以降他のパチンコ事業とあわせ経営していたが、同年一一月頃当時被告人のもとに起居していた実弟の福島英作こと都相祚を「大阪みやこ」に駐在させ、以後同人を同店の責任者にして事実上同人の運営に委ねたこと、その後昭和三七年八月隣接土地の工事の影響で同店の店舗が倒壊した際、工事業者に対する賠償等の交渉を被告人が主になつて行ない、その賠償金と被告人の資金を投入して同じ場所に新しい建物を建築し、営業設備も一新したうえ同年一二月二八日パチンコ店(「大阪みやこ」)の事業を再開したこと、右事業の再開にあたり被告人と都相祚との間においては、営業設備等を同人に譲渡、賃貸する等の格別の取り決めはなく、前同様同人が同店の責任者となつて事実上その運営にあたり、再開後同人は自己名義で近畿相互銀行城東支店に当座預金の口座を開設し、右口座を利用して同店の営業収入の経理を行なうなどしていたが、一方では、被告人に対し毎月同店の営業報告をなし、被告人も、原判決が説示するように、再三大阪に行つて経営の指揮にあたり、経理の調査をしたり、部下の伊藤康義を派遣してその監査をさせるなど、同店の運営につき兄から弟への単なる助言、指導という範囲を越えた干渉を加え、同店の業績が好転した昭和三八年中収益の一部を送金させて他の事業に使用していること、また、同年中相祚は、「大阪みやこ」の収益の中から一月から七月まで各六万円、八月から一二月まで各八万円合計八二万円の給与を取得し、他方被告人も、同年分の所得税の確定申告にあたり相祚を自己の事業の専従者控除の対象者として申告し、さらに同人の長男を自己の扶養親族該当者として申告し、被告人自身も同人を同店の経営者とみていなかつたことの各事実が認められるのであつて、これらの事実に徴すれば、被告人が昭和三七、三八年中における「大阪みやこ」の事業経営者であつて、昭和三八年の所得税確定申告に際し、税金を不正に免れるため「大阪みやこ」につき都相祚名義で申告させたものと認められ、右認定に反する原審証人都相祚の証言および被告人の原審公判における供述部分はいずれも信用できない。

所論は、(1)昭和三八年中「大阪みやこ」の事業収益の中から被告人のもとへ送金された金額は純益の一部に過ぎず、大部分は相祚の判断で同店の営業設備・機械器具の購入等に充当処理され、また、同店新築後同人の手で二階にマージヤン、喫茶部を、三階に撞球、将棋の店を開いたが、その設備資金はいずれも同店のパチンコ事業の収益の中から充当していること、(2)同人は自己名義で取引銀行に当座預金の口座を開設し、同店の売上を全部これに預け入れ、手形、小切手も自分の名で振出して同店の諸経費を支払つていること、(3)昭和三八年中「大阪みやこ」において同人が自動車二台を順次購入しているが、右購入資金は同店の売上金の中から支弁し、同人と同店の従業員が同乗運転中に起した自動車事故の処理費や同人らの治療費についても同店の収入金で支弁し、(4)同人は腕時計の購入という私用にわたる金をも同店の売上から支払つていることなどを挙げて、「大阪みやこ」のパチンコ事業は相祚が自ら経営し、その利益も同人に帰属していたものであると主張する。なるほど、原審証人都相祚の証言および同人の検察官に対する各供述調書、被告人の原審公判における供述および検察官に対する各供述調書(昭和四一年一月一〇日付、同月三〇日付)その他の証拠によれば、右に指摘の(1)(3)(4)の事実が認められ、(2)の事実はすでに認定したところであるが、反面右証拠によると、被告人と相祚は兄弟の間柄にあり、被告人が相祚を「大阪みやこ」の責任者として同店に駐在させて事業の運営を同人に委ねたのは、同人が同店の事業に携わることにより事業家としての経験を積み、同店の事業を基盤にして一本立ちすることを期待してのことであつて、同店の事業経営に関し或る程度相祚の自主的な運営に委ねていたことの事情が看取され、このような見地からみるとき、同店の運営をしていく上で便宜的な手段に過ぎない(2)の事柄は勿論のこと、同店の事業規模の拡大強化につながる(1)および(3)の事実は、いずれも被告人から許容された自主的運営の枠内の行為とみることができ、また、(4)の時計購入の点については、それが相祚の一存でなされたものであるとしても、両者の特別な間柄から被告人の事後承諾を期待して事業収入の中から支払つたもの(それが営業上の経費として是認されるかどうかということは別個の問題である)とみられないこともないのであつて、以上所論の指摘する点は、いずれも被告人が「大阪みやこ」の事業所得の帰層者であると認めることの妨げとはないらない。そうすると、昭和三七、三八年における「大阪みやこ」の事業所得を被告人に帰属するものと認めた原判決は相当であつて、他に所論にかんがみ記録を精査しても、原判決には所論のような誤りは存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一の二の(一)(事実誤認の主張その二)について

論旨は要するに、(1)原判決は、李点大が同人名義をもつて昭和三七年中における「東みやこ」の事業所得として申告納税した六万七、三〇〇円について、これを被告人が李を介して申告納税したものであると認め、被告人の同年分のほ脱税額算定につき右六万七、三〇〇円を控除しておきながら、他方において、前記李名義の所得申告に関し国税当局がした更正決定による追加税額二〇万六、二五〇円を李が納税しているのに、右追加納税額については、これを被告人の逋脱税額から控除せず、逋脱税額の一部として有罪と認定しているのは、同じ「東みやこ」の事業について二重課税を認めるものであつて違法である。(2)原判決は、昭和三七年分の被告人の所得を捕捉する方法として、国税当局の採用した財産増減法によつているが、右財産増減法は、「西みやこ」、「東みやこ」、「大阪みやこ」の三店のほか被告人の所有資産の全部についての増加を所得とし、「大阪みやこ」については同店のみを対象とする財産増減の計算がされ、「西みやこ」と「東みやこ」の二店については各店を区別した財産増減の計算方法がとられておらず、従つて、同年中における「東みやこ」の事業が李との共同事業であるとする弁護人の主張を是認する限り、「東みやこ」と「西みやこ」については各店別に財産増減の計算を仕直さない以上、同年中における被告人の正確な所得および逋脱税額は算定できない筋合であり、帰するところ、原判決は同年分の被告人の所得および逋脱額の算定を誤つている、と主張するのである。

所論にかんがみ検討するのに、原審証人李点大、同羽原英一、当審証人小川吉宏、同羽原英一の各証言、並びに原審が適法に取調べた宇部税務署長倉橋軍三郎作成の回答書添付の更正決議書(写)三通、福岡相互銀行宇部支店長中村治一作成の昭和四〇年一月二八日付証明書添付の大石太郎名義の当座勘定元帳(写)、大蔵事務官羽原英一作成の「大石太郎名義当座預金の調査事績および課税資料」と題する書面、広島国税局査察課長志賀俊雄作成の「申告所得税の納付状況の回答について」と題する書面によれば、〈1〉被告人と李の共同経営期間中における「東みやこ」の売上は、前記のようにすべて大石太郎名義の当座預金に入金し、各月毎に諸経費を控除した残りの利益を折半して、右当座預金の中から各自が払い出して取得していたこと、〈2〉そのような方法で李が昭和三七年一月から同年一二月までの事業期間における配分利益として取得した総額は一八三万八、四九九円であつたこと、〈3〉李は所轄宇部税務署に対し昭和三七年中における自己の事業所得を一〇〇万二、〇〇〇円であると申告し、所定税額六万七、三〇〇円を納税したが、後に国税当局は査察の結果、昭和四一年三月一二日同人が同店の共同事業により得た昭和三七年中における事業所得を一八三万八、五九九円と更正決定し(上記更正金額は前記認定額と一〇〇円の誤差があり、更正決定額に誤りがあるものと認める)、そのため同人は同年三月から八月までの間に、右更正所得に対する税額と既納税額との差額二〇万六、二五〇円(但し本税)を分割して納税したこと、〈4〉一方被告人は、昭和三七年中の所得申告にあたつて、「東みやこ」の共同事業により自己に帰属すべき事業所得および「大阪みやこ」の事業所得を除外し、「西みやこ」の事業所得のほか給与所得を合わせた総所得として三六二万九〇〇円の所得申告をし、所定税額八八万九、六九〇円を納税したが、後に国税当局から本件所得税法違反による査察をうけるところとなり、国税当局は、被告人の所得を捕捉する方法として、「大阪みやこ」については同店のみ「西みやこ」と「東みやこ」については両店を一括し、いわゆる財産増減法によつて、これら三店の経営により昭和三七、三八年中に得られた被告人の各年の事業所得を確定し、右国税当局の昭和四一年一月一八日付更正決定により、被告人は更正所得と申告所得との差額に対応する所得税を納付したこと、〈5〉国税当局が前記財産増減法により、「西みやこ」および「東みやこ」の両店を一括した昭和三七年中における増加資産を確定するにあたつては、李点大との共同事業にかかる「東みやこ」の資産負債のうち同年中李に帰属すべきものを除外し、被告人のみに帰属する資産負債を対象にして両店一括の当期増加所得を算定していることの各事実が認められ、また、本件記録に照らすと、原裁判所は、国税当局の右所得算定方法を踏襲して被告人の所得を算定するとともに、李が同人名義をもつて昭和三七年中における「東みやこ」の事業所得として申告納税した前記六万七、三〇〇円につき、これを被告人が李を介して申告納税したものと認めて、右金額を控除したものを被告人の同年分の逋脱税額としていることが認められる。

右認定の事実にそくして、先ず所論(1)について考えるに、昭和三七年中の「東みやこ」の事業所得について、国税当局は、同店の事業を被告人と李の共同事業と認め、李が同人名義で申告した同年分の所得一〇〇万二、〇〇〇円を同人が右共同事業により取得した事業所得として扱い、同人から右所得に対する所得税六万七、三〇〇円を徴収し、さらに、同人の右事業所得を一八三万八、五九九円と更正し、これに伴い前記のような追加税額二〇万六、二五〇円を同人から追徴し、他方被告人に対する関係においては、「東みやこ」の共同事業により被告人に帰属した事業所得を含む全所得について更正決定し、被告人の申告所得と更正所得との差額に対応する所得税を追徴したものであるが、検察官は、「東みやこ」の事業は被告人の単独事業であるとの見解のもとに、李名義でした同店の前記事業の確定申告とこれによる納税を同人を介して被告人自身がしたものと認めて、被告人の同年分の逋脱税額の中から李が納税した六万七、三〇〇円を控除し(検察官提出の冒頭陳述書参照)、原判決も、検察官の右見解を是認したうえ同様の控除計算をしているものと認められるところ、申告納税制度をとる所得税法では、納税義務者は自ら課税標準と税額を決定して所轄税務署に申告し、右税額を納付して徴税手続を完了するものであるから、原判示一記載のごとく、被告人が虚偽の申告書を提出してその税金を納付したときは、すでにその時に税金を逋脱したものとみるべきであつて、その後に更正手続が行なわれたかどうかは同法六九条(但し昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)の逋脱犯になんら消長を及ぼすものではないから、原判決が申告期限経過後李が更正決定により追加納税した二〇万六、二五〇円を被告人の納税とみたかどうかに関係なく、被告人の脱税額から控除しなかつたのは正当であつて、この点に関する所論は失当というほかはない。なお、付言すれば、前記説示のとおり、「東みやこ」の事業を被告人と李との共同事業と認める当裁判所の見解のもとでは、国税当局の前記処理を是認することができる反面、原判示のように、李が同人名義でした事業所得の確定申告とこれによる納税を被告人自身がしかものとみることはできないから、すでに述べたように、前記の六万七、三〇〇円を被告人の逋脱税額から控除計算した原判決は、本来控除すべきでないものを控除したということになる。また、所論(2)については、すでにみたところから明らかなように、李点大が昭和三七年中における「東みやこ」の共同事業によつて得た配分利益は総額一八三万八、四九九円であり、同人は同店の事業に関し労務以外なんらの出資もしていないのであるから、同人の取得した一八三万八、四九九円(なお同人は昭和三六年一二月分の利益配分として昭和三七年一月八日一五万七、一一一円を取得しているが、右は被告人の財産増減の計算上昭和三六年末における未払分配金として被告人の負債勘定に計上して調整している-脱税額計算書説明資料九九丁、冒頭陳述書各論第二九未払金、記録五九丁参照)を除くその余の同店の資産負債はすべて被告人に帰属するものであつて、国税当局ならびに原判決が被告人の昭和三七年分の事業所得を算定するにあたつて、その基礎とした期首期末の資産負債には、李に帰属する資産負債は含まれておらず、従つて、被告人に帰属する期首期末の資産負債を「東みやこ」と「西みやこ」に分けて各店毎に計上するか、あるいは両店を一括して計上するかは便宜の問題に止まり、所論のいうように各店毎に財産増減の計算をしなければ正確な所得の算定ができないものではないから、原判決が「東みやこ」と「西みやこ」の両店を一括して期首と期末の正味資産の有高を比較し、これにより当期の純損益(所得)を算定したからといつて、その方法に誤りは存しない。その他所得算定に関する所論にかんがみ記録を精査しても、原判決には所論のような誤りの点は認められない。論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第一の二の(二)(事実誤認の主張その三について)

論旨は、原判決が被告人の事業所得認定の基礎とした検察官の冒頭陳述書添付の修正貸借対照表(総合)について、

(1)  同表の負債の部の繰越利益金および当期所得としてそれぞれ記載された各数字を昭和三七、三八年中の各増減欄についてみると、昭和三六年の当期所得一四、〇五一、七五三円は、昭和三七年の繰越利益金として同年の当期所得一七、七〇〇、七四六円に、また、昭和三六年および昭和三七年の各繰越利益金は昭和三八年の当期所得にいずれも加算計上されており、これによると、原判決は、各年度において既に課税済の利益金をその後年度の当期所得に加えてさらに当該年度の課税所得とする二重課税の誤りを犯している。

(2)  同表中昭和三七、三八年度の事業所得算出の基礎となつた昭和三六年末元入金は、被告人の昭和三五年末における事業用資産であるとされているが、その算出の基盤となる数額につき証拠がなく、昭和三五年末の元入金算出に必要な科目(冒頭陳述書各論第三六の項参照)中敷金、前払家賃、頼母子講を除き、その余の科目の数額はすべて根拠不明である

(3)  パチンコ事業の経営に関して支出された諸経費のうちみかじめ料その他表面に出ない経費について考慮されていない

(4)  被告人の家族名義の預金についてこれをすべて被告人の資産と認定することは不当である

と主張するのである。

そこで、先ず(1)について考察するに、前記修正貸借対照表(総合)をみると、なるほど、負債の部の昭和三七年中増減欄に、繰越利益金として「一四、〇五一、七五三円」、当期所得として「一七、七〇〇、七四六円」、また、昭和三八年中増減欄に、繰越利益金として「三一、七五二、四九九円」、当期所得として「二五、〇四八、八六〇円」の各記載があり、昭和三七年中増減欄の右の二つの数値を合算すると、昭和三七年末欄記載の当期所得「三一、七五二、四九九円」と合致し、昭和三八年中増減欄の右二つの数値を合算すると、昭和三八年末欄記載の当期所得「五六、八〇一、三五九円」に合致するのであるが、このことから直ちに、所論のいうように、昭和三六年で課税済の繰越利益金を昭和三七年度の当期所得に、また昭和三六、三七年で各課税済の繰越利益金を昭和三八年の当期所得にそれぞれ加え二重課税したものとみるべきではなく、これは、原審第一三回公判における証人羽原英一および当審証人小川吉宏が供述するように、同表の記載の不備に基因するものであつて、もともと、同表の昭和三七年および昭和三八年中の各増減欄に、それぞれ前年の当期所得金額を繰越利益金として記載すること自体が誤りであり、従つて、右各増減欄に右繰越金を計上して算出した結果当期所得として記載されている「一七、七〇〇、七四六円」、「二五、〇四八、八六〇円」は、財産増減法上意味のない数値となつており、同欄の各当期所得としては、昭和三七年および昭和三八年中増減の欄中、それぞれ資産の部の各科目の合計金額「四八、九九八、八五〇円」、「八六、五五四、〇七二円」から、負債の部の繰越利益金を除いた各科目の合計金額「一七、二四六、三五一円」、「二九、七五二、七一三円」をそれぞれ差引いた「三一、七五二、四九九円」、「五六、八〇一、三五九円」の数値を記載するのが正当であり、同表の昭和三七年末欄および昭和三八年末欄をみれば明らかなように、昭和三七年においては昭和三六年末の当期所得を、昭和三八年においては昭和三六年末および昭和三七年末の各当期所得額の合算額をそれぞれ繰越金として負債科目に計上して、他の負債科目とともに資産から差し引いてそれぞれの当期所得を算出しているから、所論は同表の不備にもとづく誤解であつて、原判決には所論のいうような二重課税をした誤りはなく、所論は全く理由がない。

つぎに、所論(2)の元入金について検討するに、本件のごとく財産増減法によつて昭和三七、三八年の所得を算定する場合、その前年の期首期末の資産負債を確定することが必要であり、それを確定する過程で所論の指摘する元入金はおのずから算定された筋合のものである。そこで、証拠にもとづき昭和三六年の期首(昭和三五年期末と同じ)における資産負債を検討すると、その内訳は別表1記載のとおりであつて、同表記載の各勘定科目の数値は、当該勘定科目の右欄に摘記した各証拠によりこれを認めることができる。右認定の各勘定科目のうち原判決が是認した冒頭陳述書各論第三六元入金の項に記載したものと相違する勘定科目は、資産科目中の仮払金、負債科目中の支払手形、借入金、仮受金についてであり、これを詳述すると、仮払金中被告人が代表者である東亜自動車工業株式会社が福岡相互銀行宇部支店から借り入れた昭和三五年末の残高(手形割引の枠の関係で被告人の名前を使用したもの)、ならびに借入金中被告人の同年末における同銀行からの借入残高について、原判決は脱税額計算書説明資料(六八丁)に掲記の「一、八五四、一八八円」ならびに同資科(七四丁)に掲記の「一、八五四、一八八円」をいずれもそのまま是認したものと推測されるが、福岡相互銀行宇部支店長中村治一作成の証明書添付の被告人名義の手形貸付元帳(写)(別冊保管五〇四丁)によれば、一五二万一、三〇〇円の限度で認められ(差額三三万二、八八八円)、仮受金中被告人が東亜自動車工業株式会社から売掛金の名目で仮受した金額について、原判決は前記説明資料(七五丁)に掲記の「六一、四二六円一をそのまま是認したものと推測されるが、押収にかかる同会社の総勘定補助簿(当審昭和四五年押第二三号の符号49)、仮勘定補助簿(同符号46)その他の証拠を精査しても、右売掛金の名目で六万一、四二六円を仮受した事実を認めることはできず、また、被告人が昭和三五年中に振出し昭和三六年中に決済する支払手形について、原判決は前記説明資料(七四丁)に掲記の長門電機株式会社に対するもの「六〇、〇〇〇円」をそのまま是認したものと推測されるが、広島銀行宇部支店長安達彰男作成の証明書添付の被告人名義の当座預金元帳(写)(別冊保管九六丁)その他の証拠を精査しても、右支払手形に該当するものの存在を肯認することができず、以上の誤差の結果、同年末の元入金は、別表1記載のように五、八五五万四、〇一八円と認めるのが相当であり、所論のいうように元入金その他の各勘定科目の数値につき根拠不明ということはできない。

さらに、所論(3)については、本件のように期首と期末の正味資産の実際有高を比較して当期の純損益を算定する方法による場合、所得金額の計算上必要経費とならない生活費等(冒頭陳述書各論第一〇店主貸の項の生活費の欄参照)は資産科目の店主貸勘定に計上するのであるが、当期間中に支出した所論の各費用はいずれも資産科目に計上されておらず、当期の所得の算定上経費として扱われていることが明らかであるから、所論の失当たることはいうまでもなく、また、所論(4)についても、証拠によれば、所論の家族を含む被告人の家庭にあつては、被告人が主たる所得者であつて、被告人の所得を家族名義で分散して預金したものと認めるに難くなく、これら家族名義の預金を被告人の資産と認めた原判決に所論のような誤りはない。以上論旨はいずれも理由がない。

ところで、先に元入金の判断の箇所で指摘したように、原判決は、昭和三五年期末(昭和三六年期首)の元入金の数値を誤認しており、右誤認は、昭和三六年の当期所得ならびに昭和三七、三八年の繰越利益金にいずれも影響するのであるが、さらに、証拠に照らし原判決が是認した冒頭陳述書添付の修正貸借対照表(宇部、大阪、総合)三通に掲記の各勘定科目の数値を調査すると、昭和三六年期末における支払手形につき宇部分同表には「二、八三三、〇〇〇円」とあるが、長門電機株式会社総務部次長堀恭男作成の証明書(別冊保管八八一丁)と当審証人羽原英一の証言によれば、右会社に対し昭和三七年に繰り越して支払わるべき手形は、冒頭陳述書各論第二六支払手形の項の宇部三六年末の内訳長門電機分九〇万円を七五万円と認めるのが正当であり、(一五万円減少)、従つて、宇部分修正貸借対照表の昭和三六年末および昭和三七年中増減の各欄の支払手形は「八、四〇八、〇〇〇円」、「△五、二五八、〇〇〇円」となり、また、昭和三八年中大阪みやこの譲渡損失につき大阪分修正貸借対照表の同年中増減の欄に「二、五三四、七九五円」とあるが、冒頭陳述書各論第二三譲渡損失の項の大阪三八年分の譲渡損失額に計算上の誤りがあり、これを二五三万五、四六二円と認めるのが正当であり(六六七円増加)、従つて、大阪分修正貸借対照表の昭和三八年中増減および同年末の各欄の譲渡損失額は「二、五三五、四六二円」「七、二八五、一三七円」、総合分修正貸借対照表の昭和三八年中増減および同年末の各欄の譲渡損失は「五、七七六、九八二円」「一八、六〇二、八六一円」となり、以上の各訂正数値と前記同表(宇部、大阪、総合)記載のその余の数値にもとづき被告人の所得を再計算すると、別表2ないし4に各記載のとおり、昭和三六年の当期所得は一、四〇八万三二七円、昭和三七年の当期所得は三、一六〇万二、四九九円、昭和三八年の当期所得は、五六八〇万二、〇二六円となる。そして、右認定の所得を基礎にして逋脱税額を算出すると、昭和三七年分は別表5記載のとおりであり、昭和三八年分の逋脱税額については、前記のような事業所得の増加は譲渡損失額の増加に基因するものであつて、課税所得に変動をおよぼさないから、結局原判決の認定は正当であるが、昭和三七年分の逋脱税額については、一、二〇七万六、四四〇円と認めるのが正当であつて、これを一、二〇九万九、一四〇円と認定した原判決には誤りがあるが、右程度の誤りをもつては、いまだ判決に影響をおよぼすものということはできないから、結局破棄理由とはならない。

控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

論旨は原判決の量刑が重きに過ぎ不当であるというのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するのに、本件は、パチンコ店を経営する被告人が、売上収入に関するメモなどを毎日のように破棄して帳簿に記載せず、かつ所得を架空名義で預金するなどの方法を用いて真実の所得金額を秘匿したうえ、昭和三七、三八年中における自己の事業所得につき虚偽過少の申告をして、総額四、〇八七万四、七六〇円の所得税を不正に免れた事案であつて、右にみた各犯行の罪質、動機、態様、逋脱税額のほか、この種事犯が国の財政(租税収入の確保)におよぼす影響など記録上認められる諸般の事情に照らすと、被告人の刑責を軽視することはできないから、被告人が国税当局の更正決定に従い脱税分を納付しているほか重加算税等も納付していること、その他所論の被告人に有利な事情を十分考慮しても、原審の量刑はやむを得ないところであつて、不当に重過ぎるものとは認められない。論旨は理由がない。

なお、右刑量不当の主張中に逋脱の犯意を否定するかのごとき部分があるが、被告人の大蔵事務官に対する各質問填末書によると、被告人は架空名義の預金をするなどして所得を隠ぺいしていたのみならず、昭和三七、三八年の所得申告に関し、それが実際の所得額より過少であることを知悉しながら虚偽過少の申告をしたものであることが認められ、所論の行政指導によつて申告していたことが犯意を阻却するものではないから、右主張は是認することができない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八木直道 裁判官 丸山明 裁判官 岡田勝一郎)

(別表1) 昭和35年期末(昭和36年期首)資産(負債)表

No1

〈省略〉

〈省略〉

No2

〈省略〉

〈省略〉

(註)(質)は大蔵事務官の質問填末書、(検)は検察官に対する供述調書を意味する。

(別表2) 財産増減表(自36.1.1 至36.12.31)

No1

〈省略〉

〈省略〉

(別表3)

財産増減表(自37.1.1 至37.12.31)

No1

〈省略〉

〈省略〉

(別表4)

財産増減表(自38.1.1 至38.12.31)

No1

〈省略〉

〈省略〉

(別表5) 昭和37年分ほ脱税額算定資料

〈省略〉

昭和四五年(う)第七四号所得税法違反被告事件

控訴趣意書

被告人 福島源作こと 都相龍

右の者に対する頭書事件につき弁護人は次のとおり控訴の趣意を陳述する。

第一、事実誤認

一、被告人の営んでいたパチンコ業は宇部市西区北町一丁目のみやこパチンコ店(以下西みやこと略称)と同市東区錦町五丁目のみやこパチンコ店(以下東みやこと略称)及び大阪市都島区東野田のみやこパチンコ店(以下大阪みやこと略称)の三店である。その各店の経営の実態を検討するに

(一) 西みやこ店は昭和三七年及び同三八年中は被告人の経営にかかるものであることは争わない。

(二) 東みやこ

東みやこ店は昭和三七年度中は大石太郎こと李点大との利益折半の共同経営であつた。

(1) 李点大の原審の証言によれば、同人は昭和二八年頃より被告人に雇われ、東みやこで働いていたが、昭和三三年頃独立し小倉市に於てパチンコ店を経営していたところ、被告人がその経営する東亜自動車株式会社の業務に忙しく、東みやこに手が廻りかねる為、昭和三六年一〇月同人を呼び戻し東みやこの経営に当らせることとした。その際李点大は折角小倉市で経営している店をすてゝ宇部市に帰るのであるから東みやこを引受けることを躊躇したが、結局近い将来この店を李に譲渡する、同店の利益は両者で折半すること、利益のないときは相当給料額を被告人に於て保証するとの約定のもとに昭和三六年一〇月以降李点大が経営したものである。その経理処理の実態については原審に於ける右李点大、被告人の妻福島澄子の各証言及右両人の検察官調書によれば、福岡相互銀行宇部支店と李点大が当座貸越契約を結び、毎日の売上金を李点大の当座口座に預け入れる。その小切手帳は澄子、印鑑は李点大が保管し、被告人方に於て李が必要に応じて小切手を書く。経費を差引いた売上金額を、右口座に預け入れ、毎月末その残高の半額宛被告人と李点大に小切手を切つて分配し機械の入替、設備改善等の費用は被告人と李が折半して負担するという方法をとつていた

(2) 以上の事実を基礎として三七年度中の東みやこの所得の帰属者を被告人一人と見るべきか、或は被告人と李の二人であると考えるべきかであるが、検察官並びに原審は利益の上らないときは被告人が李の給料を保証するとの約定の存したことを根拠として、利益折半というのは李に対する報酬支払の一方法と解されたものと推測される。

然し乍ら

イ 東みやこは当時収益を続けていたものであつて、利益の上らないときは給料を保証するとの約定は、現実の必要によつて約定されたものではない。万々一の場合李に対する気安めであつて、金額の定もない。全く形だけの右話合をもつて経営の実態を判断するのは誤りである。

ロ 利益折半ということは経費乃至損失を差引いた残額の折半であるから、当然李も損失を負担していることになるのである。

ハ 原審認定の通りとすれば、李は被告人の使用人であつたというに帰するのであるが、使用人の名で銀行に当座口座を組み、その印鑑を使用人が保管し、小切手を使用人がその名により作成するというようなことはあり得ない。共同経営であればこそ、右のようなことが行われるのであつて、小切手帳は澄子が保管し、小切手は同人の目前で作成するというのは、共同者一人の恣意を防ぐ方法であつたのである。

ニ 給与に歩合制は随所で行われてはいるが、一店の全利益の半分というような歩合給はありうべきではない。李に対する報酬としては最底の保証もなく、定額の定もない。唯利益折半というのみである。

(3) 李の立場は経営者であつた被告人に代る労務を出資したものであり、やがて近く同店を譲受ける立場にあつたものとして被告人との共同経営者であつたものと解するのが妥当である。実質課税の原則よりしても、被告人と李とは半額宛の所得として課税すべきである、福島澄子、李点大及び被告人は検察官の取調に於て昭和三七年度に於ける東みやこの経営者は被告人であつたと供述しているが、問題は経営者と名のつくものが誰であつたかという形式論ではなく、営業の利益が誰に帰属していたかである。現に宇部税務署は東みやこの李点大名義による所得申告を受理し(証第六二号証)、之に更正決定をなした(証第一号)その税額金二七三、五五〇円、過少申告加算税一〇、三〇〇円合計二八三、八五〇円は既に李に於て納付済である。

(三) 大阪みやこ

被告人及び都相祚の検察官調書及び原審での証言によれば大阪みやこは昭和三六年二月被告人が久保商事より買入れ、パチンコ店に改装の上経営していたが、その営業成績が捗々しくなくその処分にも困つていたところ、当時早稲田大学院に在籍していた被告人の末弟福島英作こと都相祚に経営を一任したものである。

英作は、それまで学生生活を続けていたもので、大学院に在籍してはいても特別の研究目標を有していたものでもなかつたので、被告人の勧めによりその経営に当るようになつたが、その際被告人の考としては、大阪みやこは右のような状態であつたから、一切を英作に任せて同人の事業経験に供し、利益を上げるようになれば、被告人の投資を償還させるというにあつて、英作もその趣旨のもとに経営を引受けたものである。

即土地建物等の不動産は除外し、営業に対する投資を回収することを目的とし、英作に営業を譲渡したものであつたから、当初英作の給与の定もなく利益分配の取決も建物賃料の定めもない。従つて、その後の英作の経営状況を見ても、被告人に利益の送金は続けているものの送金以外の利益は自由に処分している。

(1) 英作の原審での証言によれば昭和三八年中の大阪みやこの一ケ月平均純益は金二五〇万円と認定されるならば不服はないと述べている。然るに同年中宇部に送金された額は合計約一、二八八万円に過ぎず、(検察官冒頭陳述書添付の修正貸借対照表-大阪)残金一、七一二万円は大阪みやこに於て処理されている。昭和三七年についても金額は少ないが、右同様純益全部は宇部に送金されていない。

(2) その間英作は近畿相互銀行城東支店に同人名義の預金口座を開き、店の売上を全部これに預け入れている。約束手形小切手は英作名義で振出し(証第二一、二六号)ている。

(3) パチンコ機の入替、玉の補充買入、冷暖房設備の改善等殆んど被告人と相談なく英作名義にて買入れその支払をしている。

(4) 昭和三八年一月改築後二階をマージヤンと喫茶部に、三階を撞球と将棋の店にしたが、その設備は、一階パチンコ店の収益によつて支払い

(5) マツダB三六〇、二輛は大阪みやこで買入れブルバード、セドリツクの買入代金は一応、被告人が立替支払つたが、後分割払にて英作より返済している。(右冒頭陳述書第15車輛)其の外英作及び従業員が乗用車を電車に衝突させた事故処置費、両人の治療費、時計の購入等の私用の金も店の収入より支払つている。(右冒頭陳述書第11)

(6) 英作は昭和三八年以降は自己の給料を一ケ月八万円と定めているが、これは被告人の指示によるものではなく、店の収支計算上の技術的措置として定めたのに止まり、現実の生活費としての倍額前後店の収入より支出している冒頭陳述書の各論第11では英作の昭和三七年中の生活費合計一五五、〇〇〇円と計上されているが、妻を迎えた同人が斯様な生活費で足る訳がない。

以上のように英作は自己の営業として経営して来たのであるが、その間被告人は学生上りの英作の為、幾度か大阪店を訪ねその経営指導を行つているが、それは素人である英作を指導し、且自己の投資の回収を期待したからであつて、兄として又投資家として当然のことである。

被告人はこのように宇部送金が捗々しくなく、相当の剰餘金が大阪店にてどのように費消又は処置されているかを調査する為、西みやこの経理主任伊藤康義を派遣して調査に着手したが、その直後国税局の査察を受けた為、調査できなかつた事実があり(伊藤康義の検察官調書)このことは被告人が大阪みやこの経営収支の処分一切を英作に任せ、経理の実態を全然把握していなかつたことを示すもので、被告人の見込に反し宇部送金が少い為経理の監査を思い立つたものである。

仮に検察官主張のように英作は単に支配人となる約定であつたとしても、所得の実質帰属者は誰であるかは当初の契約のみによつて定まるものではない。現実に店の収支の内容を被告人に報告せず、収益を自由に英作が処分し被告人がこれを放任して居れば、実質所得者は英作である、これが税法上の実質所得の原則でありその所得の違法であるか否かは問わない。

二、資産増減法による所得計算について

(一) この点について第一に取上げなければならないのは、東みやこは被告人と李点大との利益折半の共同経営であつたことと、東みやこの事業所得税は昭和三七年度分は李点大に於て申告納税済であるという点である。宇部税務署は広島国税局から本件査察結果による指令により、大阪宇部三店の事業所得金額の更正決定をなし(弁第五号証)被告人は右決定通り納税したが、(弁第四、六、七、八、九号証)李点大が納税したものについて何等の処置(還付)のなされたことを聞かない。

右李点大に対する更正決定は昭和四一年三月一二日付であつて既に本件査察は終結し、被告人が所得税違反によつて起訴された後である。即李に対する更正決定と被告人に対する更正決定は併行して行われているのであるが、李は更正決定により二七三、五五〇円を納付しているのに拘らず、本件起訴及び原判決に於ては被告人に対する昭和三七年度税額より李に対する更正決定前の税額六七、三〇〇円を控除して被告のほ脱額を算出している。従つてこの更正決定による増加税額二〇六、二五〇円については、二重課税である。納税者は異にしても所得発生の事業について言えば二重課税であることは間違ない。

仮に原審認定の如く東みやこ全部が被告人の事業であつたとしても既に李点大名義を以つて納税済の部分までもほ脱罪の一部として起訴し、原審がこれをも有罪と認定されたのは違法と言わざるを得ない。或は他人が納税したことは被告人としてのほ脱罪の成立を免れないという考方であるかも知れないが、右起訴と判決は被告人は李点大名義を以つて申告納税したというのであるから(検察官の冒頭陳述書)李名義の納税を被告人の納税と認めているのである。被告人に対する更正決定は広島国税局の指令により宇部税務署長が行つたものである。局並に宇部税務署はこの二重課税をどう処置するのか、又李を所得者と認めてなした同人に対する更正決定と、被告人を所得者なりとして同人になした更正決定の何れを維持するのか、このまゝ放置しておける問題ではないと考えられる。

ところで本件の資産増減法は宇部大阪三店の外被告人所有資産の全部についての増加をもつて所得とし、宇部の二店につき各店に区別して資産増減計算はなされていない。従つて東みやこを除外した資産増加額、東みやこのみの資産の増加額は右計算方法によつてはこれを算出することは不可能である。東みやこが両人の共同経営であることは殆んど疑う餘地はないが、本件の算出法を以つてしては、被告人の東みやこによる所得と、それ以外よりの所得とを区分することはできない。他に計算方法がない為、止むを得ず全体としての資産税増加法によつたというのであるから(検察官の冒頭陳述書)、昭和三七年度の被告人の所得計算は全く不可能というに帰し、これについては無罪の言渡をされるべきものである。

(二) 原判決認定の基礎となつている検察官の冒頭陳述書添付の修正貸借対照表には次の通りの誤がある。

(1) 先ず第一に総合貸借対照表に於いて、負債の部の繰越利益金欄を見るに、昭和三六年度に於ける当期所得金一四、〇五一、七五三円は、昭和三七年度の利益金一七、七〇〇、七四六円に加算され、昭和三七年度所得としてその合計金三一、七五二、四九九円が計上されている。

次いで、昭和三八年度当期所得額金二五、〇四八、八六〇円は前年所得金三一、七五二、四九九円と合算して当期所得として金五六、八〇一、三五九円が計上されている。そして起訴に於ては、昭和三七年度事業所得を右金三一、七五二、四九九円とし、昭和三八年度事業所得は右金五六、八〇一、三五九円とし、これにより譲渡損失を差引いた数額を課税される事業所得としている。

右貸借対照表に於て、各年度当期所得は、それだけの資産増加分として累年加算し、各年度の利益金を算出するということは理解できるが、課税すべき所得は当期のみの所得額であるべきである。

各年度の利益金に対してそれぞれその年度に於て課税済であるのに拘らず、これをその後年度の利益金と加えた金額を当該年度の課税所得とすることは明らかに二重課税であり不当である。

(2) 昭和三七、三八年度の事業所得額算出の基礎となつている、昭和三六年末元入金五八、四三二、五九二円という数額は(検察官、冒頭陳述書各論第36とその算出の表)昭和三五年末に於ける被告人の事業用資産であるとされているが、その算出の基礎となる、数額につき証拠がない。

例えばその内の預金二四、五八九、八六三円、仮払金一三、八九〇、四一〇円という数字の根拠不明である。又表中の景品、有価証券は昭和三六年末の数額を掲げており、その他敷金前払家賃頼母子講の項を除きその数額の根拠不明である。

被告人は原審以来昭和三六年度末に於ける同人の資産総額につき不当に低く評価されていることにつき不満を示しているが之については更に資料に基づき補充し度い。

(3) 右冒頭陳述書で認めている経費については、相当の洩があり例えば宇部市内パチンコ店に出入する岩本組に支払つたみかじめ料、諸興行の入場券代金、その他、表面に出ない経費は全部考慮されていない。

(4) 又被告人の家族名義の預金は全部被告人の資産として計上しているがこれ亦共酷な認定であり、家族名義の預金はその全部が名義人の資産ではないであろうが、その内には当然贈与として認めるべきものがある筈である。冒頭陳述書各論第2の表によると、昭和三七年、三八年を通じ据置かれてほぼ安定した家族預金(妻澄子、長女好子、長男哲男、二男真司、甥守名義)は三八年度に於ては約九六〇万円存する。これを総て被告人の資産と認定することは不当である。

以上の理由により本件は逋脱金額の算定と立証は不能であつて全部無罪とすべきものである。

第二、量刑不当

仮に有罪であるとしても次のような事情は量刑上無視できないところである。

即ち、証第七二号証河田流一の検察官調書、原審証人、村田厳三郎、羽原英一の各証言によれば、宇部市に於けるパチンコ業者の所得申告は、所轄宇部税務署の行政指導に基いて行われていた。日々現金営業を営むパチンコ業者は全部帳簿を備付けていない為所轄署では年度末一〇月頃より高額所得の数店舗について所得の実額調査を行い(平均二日位かけて)その他については或程度の実態調査をなし、之を基準として十数回に亘り遊技場組合長及副組合長と全パチンコ店の申告額を協議していたものである。

右協議に於ては、税務署側は事前調査に基づく各店の認定所得額を示し、組合長等役員は之を各組合員に通知し、各店の意見調整の上組合は各店の実情に照し、之に修正を加えて税務署と折衝の結果各店の確定申告額が決まり、各店個々に確定申告をする。その納期には組合に於て全部取まとめ一括納付していた。

以上のような税務署側の行政指導によつて各人は申告していたのであつて、後日これが過少申告であるとか、逋脱であるとかの問題が生ずることを考えていたものは一人もいない。被告人もこれに従い西みやこは自己の名義、東みやこは経営に当つている大石名義で申告していたもので、逋脱の犯意はなかつたものである。

ところが、大阪みやこの建物倒壊に対する株式会社水間組の補償金につき、補償益を申告しなかつたことが端緒となつて広島国税局の徹底的調査を受け、宇部の両店の事業所得は他店と比較にならぬ、飛離れた高額に査定され、昭和三六年に遡り更正決定を受け、被告人は本税、地方税、重加算税を加え合計金七八、〇〇七、三九〇円を支払つた上(弁第四号証)告発されたのである。

課税の均衡ということも課税の公平の一要素である。又昭和三六、三七、三八年度事業所得について宇部市内パチンコ店二五店で査察を受け更正決定を受けたものは被告人以外には一軒もない。(原審証人羽原英一)それはさておき、税務署の指示するところの所得額を申告していたのであるから、被告人の逋脱については国に責任の一端がある。国の行政指導以上に申告せよということは税に対する一般納税者感情として難きを強いるものではなかろうか。期待不可能とまで断言できないにしても、更正決定通り納税した被告人に更に告発処分をした国税局の処置は、右事情を無視し、自らを顧みない苛酷の処置あると考える。

被告人は各店とも確定申告をしているのであつて、不申告ではないその申告は国の指導に従つているのである。逋脱の犯意は極めて稀薄と言わねばならない。原審の刑は重きに失する。

昭和四五年六月一二日

右弁護人 広沢道彦

同 藤堂真二

広島高等裁判所 御中

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